連休中に少しはお休み、ということで今日は思い切って出かけました。


高速道路を使って移動し、美味しいものをいただき、美しい景色を自然の中から眺める。静岡・日本平からの眺めはとても良かったです。駿河湾が穏やかです。遠くの景色もはっきりと見えました。富士山が見えなかったくらいかな・・・
台風が発生したというニュースがあり、この先ちょっと心配ですが、その前の穏やかなお天気だった今日は、お出かけには最高の日となりました。
こうした行動を起こせたのは、根本にある「信」の心のおかげです。きっと楽しい、ゆっくりできるはずと信じて出かけるからこそ、心穏やかに過ごせるわけですね。特にそのなかでも何を信じているかといえば、自分を信じているからです。きっと美しい景色に出会えて、心が穏やかになるはずだと。自分を信じてくれている妻と出かけるときには、そういう気持ちが特に強くなります。きっと、そこに働くのは、心理的安全性のようなものなのかなって思います。
見ず知らずの人との間では、その心理的安全性のようなものが担保できないために、安心して、信じて行動することにためらいや制約が出てしまいます。自分で制約をしてしまうと思い込んでいるといえるかもしれません。
ただ、一方でこんな見方もできます。心理的安全性を担保できないのではなく、目の前の人たちを信じきれていない、それが自信のなさにつながっているのではないかということです。目の前にいる人を純粋に信じていれば、目の前の景色を純粋に信じていれば、きっと自分を信じて行動できるのではないかと思います。目の前の人の可能性、目の前の景色の可能性を信じること。これが必要なのかなって思います。
以前、ある企業の研修で話したことが頭をよぎりました。コップの中に半分の分量の水が入っています。そのコップに対する見方です。「半分しかない」のか、「半分もあるじゃないか」と感じるかです。疑問、不信などの感情が先に立つのか。それとも、満足、信などの感情が先に立つのか。こうした見方の違いを抑えたうえで自分を改めて見つめると、自分の中にある能力資源や無限の可能性への信頼を高めていこうと思えるのです。そう、コップの水は半分もあるじゃないかと思うかのように、見方を変えてやれればいいのです。
私に対して、相手がどう思うと、相手がどんな姿勢であろうと、それは重要視しなくてもいいのではないかと。相手のことをなにか問題にするのではなく、相手を信じる気持ちをもっていることが、実際に自分を信じる行動を実践することになる。そういう気持ちをもって取り組んでいければいいのです。
先日、私はプロフィールを刷新しました。そのなかでも、「信じる」ことを使命に掲げた自分のことをまとめてあります。結局のところ、過去の様々な事象に立ち返ってみると、そのときに感じたことを掘り下げていけば、「信じる」事に対してアンテナが立っていたことがよくわかるのです。相手をどう思っていたか。自分に対してはどうだったか。それがよくわかったからこそ今、「信じる」ことを大切にするのです。
ちょっと話が飛躍しましたが、こうしてゆっくりと休みをとったことで、また、自分を、周りを信じるエネルギーが高まりました。きっとなにか追い詰められていると、何か自分を信じないで、あるいは、信じる行動を阻害されそうになると、疲れが思いきり溜まるのです。その疲れをしっかりと景色を見て振り払うことができました。これからいろいろとやることが立て込んで充実した日々になりますが、一つ一つを信じて、一つ一つにかかわる自分を信じて乗り越えます!

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