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矢印が相手に向くと自信のなさはどこに?

私は、人に見られる事に対して、嬉しさと恐怖心の両方が昔からありました。両方があってわがままなんです(笑)。注目されたいという気持ちがあるものの、いざ注目された状態で見られると逆に緊張するのです。そりゃーそうだ、ってことなのでしょうけど、特に人から見られることに対してはすごく緊張してしまって、顔が真っ赤になって汗が出てくるくらいでした。

大人になって、社会人になってからも、そういうときはありました(今も時々あるかもしれませんが・・・)。会社員の頃は、上司から見られるとわかっているので汗がとまらなくなるくらいにでることもありましたし、言葉が続かなくなってしまうこともありました。それはある意味、圧迫的なかかわりを上司よりされたことが大きいのですが、そういう場合には、たいてい、自分自身に対して気持ちの矢印が向いています。

自分自身に対しての矢印とは、自分が失敗するかもしれないという不安や恐れ、自分に対しての情けないという気持ちからです。えてして、自分に矢印が向いているので、自分を責めてばかりです。ある上司からは反省するなと言われたけど、結局は自分に気持ちがむいているからこそ反省に向かう。余計に反省モードですね。なにか「うまくいかないかもしれない」という気持ちがあるから、汗がとまらない、苦しい、下手をすると過呼吸みたいな状況に陥るのです。そんな状況ですので、人から見られている状態で失敗を怖がっていると、恥ずかしい気持ちで心が独占されています。

とりわけ、「相手のために」という気持ちが全くといっていいほどない時は情けない。そういう局面が営業商談中ともなりますと、会社員のときは、自分の所属していた会社の上司と一緒に営業に行くのが本当に嫌で仕方なかったです。過度に自分を見られる意識が働くので、「失敗しないようにやらなければ、怒られるから」となってしまうのです。実際に失敗する、というか、上司にとって思い通りにいかなければキレられるのです。「○○しないようにやる」では、「○○」になりますよね。「上司に怒られないようにやる商談」では失敗します。結果は目に見えていて、前進しないどころか「上司に怒られる」ことにつながっていくのです。

自信がない気持ちがあるのは、こうした人から見られて、その後、自分にとって望ましくない行動になることへの過剰な意識があって、それに対しての恐れや不安から高まっているといってもいいでしょうね。本当に辛い、苦しい、上司と一緒に営業に行くのが嫌で仕方なかったのです。結局、自分に対しての気持ちばっかりに気持ちが占有されるので、どこにいくのか、誰とどんな話をするのか、など、営業商談のために準備したことがいつのまにか情報が消えてしまっているのです。

どこに矢印を向けて人とコミュニケーションをとるかによって、自分の中にある気持ちが変わります。結局自分にばかり目が向いているのでは、どうしても自信がない方に気持ちが進むだけです。自分自身が自分自身に見られていることを過度に恐れてどうするのか?他者の目線を気にして自分の方ばかりをみることはないのです。相手を見る、相手の気持ちに寄り添う。自分が相手に対して関わるその気持ちを信じれば、いつのまにか自分に向いていた気持ちなんてどこかに行くに決まっています。

矢印の方向を時々気にしていなければ、コミュニケーションで様々な間違いをおかしてしまうかもしれません。相手に向けるのです。相手に向けることで、自分に自信がないなどの気持ちがなくなっていく。まあ、どうでもよくなってしまうんですよね。いつのまにか自分に対しての矢印がどこかにいってしまい、結果として自信がある、と、他者から見られる状態になるのではないかと思います。相手に矢印が向いているから自然とそうなる、ということですね。

昨日、市内のショッピングセンターで見た子どもたちがかいた絵です。それぞれのみんなの個性があっていいですね。この絵をみて、自然な感じで書かれている顔がいいなって思いました。自分に自信がないというような感情は、彼らにはきっとないのかもしれません。こうした純粋に対象に向かう気持ち、対象に向かって一心不乱に想像して描くという気持ちを、どこかにもっていたいなという今日この頃です。

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