静岡県内の観光地は徐々に人が戻りつつありますが、まだまだコロナ前までとはいきません。団体で観光地にやって来る人が少ないし、表向きはまだまだ他県(特に緊急事態宣言が最後まで発令されていた都道府県)からの移動は控えてほしいということになっています。ただ、他県から少しずつ訪れる方々もいるような気配は感じますね。いずれにしても、はやく人の流れが戻ってほしい、私はどちらかといえばそのような気持ちです。

昨日は仕事で出かけた沼津でそれを実感しました。沼津の港のお魚は新鮮ですよね。こうして少しずつでも人がやってくるようになれば、経済も上向きになり始めるのかなって思いますね。やはり笑顔と活気がある方が良いに決まっています
私が求めているのは、笑顔と活気があるような楽しく面白い場所です。仕事をするうえでも、その気持ちは持ち続けてやるべきだと思います。笑顔も活気もないような、緊張感を出してプレッシャーを与えるようなマネジメントは、一つの結果を出すためには必要なときもあるかもしれません。ただ、今はそのようなマネジメントを推進してもなかなか人は動かないですね。むしろ人が辞めることにもつながりかねません。時代をさかのぼれば、武士の世の中では、刀で斬られるなどの命を脅かされる危険があったわけで、逆らって殺されてしまうような事態だってありえました。ただ、今は時代はまったくことなります。気にいらないからといって、人を斬ることなんてできません。命の危険を脅かすようなマネジメントは不要です。
今はいかに人の潜在的な能力ややる気を引き出していくか?同じ場にいる人たち同志がコミュニケーションをとりながら、お互いに力を発揮できるようにする。これがとても重要ではないかと思います。そのために私が訴えているのは、安心かつ安全な場であることです。特に心理面での安心かつ安全な場をつくることです。人が安らぐ空間、安らぐ場所でなければ、もっている力を本領を発揮できないかもしれません。マズローという学者が唱えた「欲求5段階の考え方」においては、能力を発揮して自己実現の欲求を満たすためには、最低ラインの欲求を満たす必要があるということです。生きる、食べる、安全に生活できる。こうしたことが満たされたうえで、自分自身の持っているものが十分に発揮されるような状況が様々な場所でつくられる必要があるということです。
もし安心かつ安全な場ではないことがわかってしまうと、いかにしてさぼらないようにするか、傷つかないようにするか、ということばかりを考えてしまいがちです。かつて、私が新社会人で入社した会社では、そのようなことを考えている人が先輩に多かったように思います。上司に怒られないようにするためにいかにしてうまくやるか。その場を乗り切るか。ごまかす、はぐらかす、さぼらないようにする。「○○しない(さぼらない)ようにする」というのは、「○○する(さぼる)」ことにつながってくので、結局は時間がどんどんムダに過ぎていくだけになるわけです。「ああ、一体私には何が身についたのか?」という疑問だけが空しく残る。実際に自己を実現できるように感じるものがないので、ムダでしかなかったと思ってしまうのです。
ただ、こうした時間もいずれは自分の「ものになっている」ことがわかるときがきます。時間が経ってからそれをいかに自分で血肉にできるか?そして、そのことを自覚できるチャンスを自分で獲得できるか?このようなことが求められているように思います。そのために内省(リフレクション)をすることだってありますよね。
後になって内省してみて実感できる。後じゃなくても、その瞬間に自分で何かを実感できる。内省しなくても実感できる瞬間はあります。いずれの場合もその実際の感覚があるのは、安心かつ安全な場に自分が属しているという前提があるからではないでしょうか。何を言っても受け容れてもらえる、支持してもらえる、何をやっても責任をとってもらえる。もちろん、なんでもあり、ではないのですが、こうした心理的な「安」があることが、自分を成長させる一つのきっかけになっているのかもしれませんね。
安心かつ安全な場だからこそ、楽しく、面白く仕事ができることにつながっているのでしょうね。心理的に安全な場づくりをこれからも進めていきます。
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