新型コロナウイルス感染症の影響で、不要不急の外出を自粛するように言われている首都東京。禁止ではないので、外出をするかどうかは自分で判断して動くことが必要になります。このときに、周りからの目を気にしてばかりだとなにもできなくなってしまうため、どこかのタイミングで、自分から物事を判断して行動することが求められます。
「Think clearly」という書のなかで、まわりからの見方についてはこのようにまとめられているところがあります。
「周りがあなたをどう思うか」は、あなたが思っているよりもずっと、どうでもいいことだ。(中略)周りがあなたを褒めちぎろうが、反対に中傷しようが、そのことがあなたの人生に与える影響は、あなたが思うよりもずっと小さい。あなたのプライドや羞恥心が大げさに反応しすぎているだけだ。
結局は、周りの評価や見方に対して気にしすぎることによって、自分自身にストレスがかかわってしまいます。ストレスが過度になってしまうと、様々な箇所に痛みが生じるのです。特に最近は、SNSなどで他人からの評価や見方を示すような仕掛けがあります。「いいね!」というボタンやハートマークがそれを象徴していますね。これらが多くあることがなにか一つのステータスのようにも思えます。しかし、あまりにこだわりをもってしまうととても辛くなってしまうのです。同じ「Think clearly」のなかでは、このようにまとめられています。
気をつけないと、私たちはいずれ「アプルーバル・シーキング・マシン(他者からの承認を求める機械)」になってしまうと警告を発している。
これは、ジャーナリストのデイヴィッド・ブルックス氏がのべていることだそうです。「いいね!」やハートマークの数などが気になってしまうと、とても生き辛くなってしまうのではないでしょうか。自分が取り組んでいることや、人に見てほしい事を投稿し、そこになにか他者からのの承認や喜びを求める。まさに他人からの見方によって生きていくための仕掛けが網羅されているように思えます。よくできたシステムですよね。
私は、Facebookをベースに、インスタグラム、ツイッターと様々なSNSを現在も使っています。ただ、今までほど頻繁には使っていません。かつては、「いいね!」の数が気になり、ずっとスマホばっかり見ていたという日もありました。休日はゴロゴロしていて気づけば1時間半くらいが経過していました。一方で、他人からの反応が気になるときは、スマホの電源を3時間ほど切って寝たこともありました。また、年末年始に早めにSNSから離れて、新年迎えて半日くらい経過してから戻ってきたこともありました。まさに、他人からの承認や評価を過度に気にしていた時期だったといえます。こうした他人からの承認や評価ばかりを求めているような時期は、実際に仕事でストレスをかかえていて(まだ自律神経を悪くする前です)、SNSでさらにストレスをかかえ、なにもかもが逃げ出したいと感じる時期でした。SNSでの投稿によって、当時勤務していた会社の先輩からそれを見られてすごく追い込まれたこともありました。自業自得なんだと今となっては思います。
物事の判断に、正解や不正解はありません。日々テストやクイズをやっているわけではない。自分の判断や意見に対して、正解か不正解か、仮に決めるとしたらそれは他人が勝手に決めることです。他人の承認や評価ばかりの人生では、自分自身がなくなる。それが自分にかかるストレスを引き起こす原因になるのかもしれません。職場で孤立してしまう人が出るのも、評価によって職場が不幸になるような仕掛けが出来上がってしまっている。そういう見方があってもおかしくはないでしょう。
「自律した人材になりなさい。自律してこれからはやっていかなければいけません。もう社会人ですから」、新入社員研修ではそのような話をよくすることがあります。キャリア開発をテーマにした研修でも、自分のやりたいことをかなえたければ、まず自律せよ、とよくいいます。今の時期、たしかに行政機関から大きな方針を示してもらうことは危機管理の面からも非常に重要です。ただ、それをきいて、他者の承認や評価を気にしてしまい、「じゃーどうすればいい?いろいろと教えてくれないとわからない」とまったく自分で考える、検討することなく自動的に考える流れができるのは非常に怖いです。他人の評価、承認をどこかに求めようというものがあると、なかなか自分で考えるという方向に進まないのかもしれませんね。自分の中の判断の基準がまるでない、というふうに見られかねませんからね。
どこか自分のなかにある判断基準。それを信じていきましょう。それが正しいとか間違っているとか、それは周りの人が決めることであって、精神的なストレスを抱えるくらいであれば、自分のなかに判断基準があればそれを大切にした方がいいのです。新型コロナウイルス感染症の拡大においてどう、自粛要請があったとはいえ、最終的にどう行動するかを決めるのは自分自身です。周りの人に決めてもらって生きていくばかりではありません。他者からの指針を示されて動いた方が保証をえているのでのぞましいのかもしれませんが、自分で何も考えることなく、他者の承認や評価を気にして動く。それではストレスを感じてしまう人ばかりになってしまい、お互いになにかギスギスしたようなもので覆われてしまう気がしてなりません。

ある組織にうかがったのですが、そこでは、職場のリーダーたちは、自分のなか判断基準を持っていました。ですので、こうして付箋を使うなどしておこなう話し合いの場に参加しても、他者に流されることなくアウトプットできるものです。自分で考えて行動しようという意識は、新入社員になった会社員だけに必要なものではありません。彼らよりも日々長く生きてきて経験を積み重ねた人たちが、自律した意識をもって行動していると示してあげること、これが今まさに必要なのかもしれません。
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