富士山のふもと、富士宮にあるお社です。富士山本宮浅間大社。

最近、いろいろな流れが良くない方向にいっていたので、浅間大社でお祈りをしてきました。流れが良くないのは自分の外側にあることが要因ではなく、自分の内側に要因がありました。その要因に、手を合わせながら改めて向き合ってみました。静かな場所で自分の心に向き合ってみると、次の道を拓くヒントが見えてくるものです。

名前が良いですよね。湧玉池。お社の横にあります。富士山の雪解けの水が湧き出てくるというものらしいです。ちょうど雨がポツポツと降り出して、水面に映る水の波紋が、なんだか気持ちを落ち着かせてくれます。水を見ていると気持ちが落ち着くものですね。
最近、自分の視野が狭くなっていました。自分で狭くしちゃっていたというのが正確なところかもしれません。今日は、ある経営者の方と話していて、自分の視野が極端に狭くなっていて、今やっていることが何のためにやっているのか見えなくなっていました。そのせいで、自律神経が乱れて不安な気持ちが大きくなっていて、ちょっと危険だなって感じでした。落ち着いて景色に触れて、人と話をしてみると必要なものがある。それに気づいてまた気持ちが奮い立ちました。
必要なものとは「長期のビジョン」です。10年先、20年先、自分たちはどうなっていたいのか?経営目標のようなかっちりとしたものではなく、もっとふんわりとした長期のビジョンを明文化してみることにしました。ビジョンを描き、実現のためにどんなことをやればいいのかわかってくれば、日々の行動の一つ一つにマイナスな感情を持たなくなってくるのかなって思います。先が見えないようなことを手探りでやっていると、「辛い」「苦しい」「もういやだ」という気持ちにしかなれません。一つの事だけに捉われてしまうから、たいていはうまくいかなくなってしまうのです。
この1週間ほど、そんな目先だけの出来事に向き合いすぎて生きてきたような気がしていて、正直辛くなってしまう時間が多かったのです。人前に出て話をするときや、人材育成の専門家として人と対峙するときにはまったく問題はないし、むしろ楽しいのです。そうでないときに、つらいと感じることが多くなりました。
嫌な気持ちで満ち溢れてしまうのは、その目的や長期のビジョンが不明確だからなのです。やらされているようなものになっていると、どうしても辛くなってしまって、他人に迷惑をかけてしまいます。迷惑をかけたくなくてもかけてしまっている現実がある。他人に迷惑をかけていると自覚がないのは、目の前の扉しか見えていないからなのです。青写真でもいいので、長期のビジョンがあると、そこに向かって進む過程のものだから乗り越えられるのです。
なにか強い役割意識に囚われて、「ねばならない」発想が大きくなってしまうと、うまく心を落ち着かせることができなくなってしまいます。自分自身に強制する力を課すのではなく、長期のビジョンを明文化したうえで今の自分を見つめなおしてみる。そうすると、なぜ一つ一つの行動に取り組むのかというものも、きっとわかってくるように思います。
長期のビジョンを、改めて妻と話すことにしました。企業理念、ミッション、行動指針と3つがそろっているので、あとは未来の姿をどう描き、そのためにどんな行動をとるのか?必要なことはやるけど、不要なことは捨てる。その選択もきっとできるはずだと感じています。今やっている活動の大部分は必要なものだと思っていますが、あまりその点を意識しないで、改めて長期ビジョンの明文化に取り組んでみます。そうすると、日々やるべきことを決めるときに、しっかりと腹に落とし込んで実行できそうです。
長期のビジョン。ワクワクしながら描いて、新しいステージにあがっていきます!





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