素のままの自分で勝負。最近は自分自身をそのまま前面に出していくのが大切だと思っています。自分に対して飾ることなく、奇をてらうこともなく、自分自身そのもの、いわゆる自分の素を出して取り組んでいくことが必要です。
よく何か輝いているように見せる、売れているように見せる、という「見せる」ことをやりたがる方がいます(いるように私には見えます)。それぞれ様々な考え方があっていいとは思いますが、あまりこの「見せる」ことばかりをやり続けるのがそもそも「どうなのかなぁ~」と思います。
正直「見せる」ことを続けていますと、素のままの自分っていったい何なのかと思ってしまうのです。素のままの「素」がどこかに行ってしまって見失ってしまうのではないかと。「素」を見失い、「素」になれずにいると、だんだん本来の自分自身から「ブレる」現象が出てきてしまいます。
私は過去にコンサルティング会社に会社員として在籍していたときに、よく当時の上司から「○○のように見せる」ことをやるように言われました。たとえば、「売れているように見せる」「なんでも知っているように見せる」などです。しかし、どうもそれはピンときませんでした。たしかに相手には「○○のように見える」ので、その「○○」がインプットされると物事が有利に働くように錯覚します。
しかし、そもそも「見せる」ことは、自分自身にとっては苦痛でしかなかったです。よく「見せる」ようにすることを続けていたら、いつしかその「見せる」ことに疲れてしまって、心身の疲労が激しくなってしまいました。それではひたすら辛いだけです。であれば、最初から「見せる」ことをしなければいいだけのことです。逆に「見せよう」としなくても、なにか普段と違う事をやっていてそれが自分らしいと思ったことについては、続けていけばいいのではないでしょうか。「見せよう」という意識がないので、自然と自分そのものになるということですね。
素のままの自分で何かに取り組むと、なにか心地よさがありますね。それができるようになってくると、成果を出せた時の喜びは格段に違います。様々な形での報酬をいただくときにその報酬への喜びも大きいですね。「見せて」いただく報酬よりは、素のままでいただける報酬の喜びはいいですね。お金でいただく報酬、心理的なものにアプローチする報酬など、様々な報酬に対しての喜びはそれぞれ大きくなりますね。やっぱり素のままで勝負するのがいいなって思います。
見せようと苦しんだ会社員の過去があるからこそ、素のままの自分がいいなって思います。素のままの自分で今の仕事に取り組むことで、更なる喜び、そして相手に貢献できたことによる達成感のような感覚を得ていきたいものです。

昨日の仕事を終えて見上げた夜になる前の空です。もう暗くなってきていましたが、なんだかいいなぁと思ってみていました。達成感のある時の空というのはやっぱりいいものです。素のままの自分でこれからもやっていければ、こうした気持ちでまた空を見上げることができそうです。
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