
令和の最初の年。元号が令和になったと発表になったのは、退職した会社に挨拶に行った日でした。日本橋の高島屋のお菓子店の方に、「令和になったんですって、新元号」って話したのを思い出します。あれから約10日後、私は故郷・富士にUターンして起業しました。
この一年は、Uターン起業という大きなキャリアチェンジを果たした年でした。5月1日に令和に元号が変わってから本格的に営業を開始。令和に創業した会社「合同会社富士みらいクリエイション」は、無事に今年の年末までやってきました。
富士山の眼下に広がる故郷・富士市に戻って独立するという夢を叶えることができた年となり、人生で忘れられない年になりました。昨年の今頃はまだ東京にいて、そろそろ帰省のために戻ろうということで、いろいろと心の乱れもあった時期です。今年の年末はゆっくりと富士で過ごすという年になり、まさに、久々に大晦日で落ち着いているような状況です。
落ち着いたところで、3か月ごとに簡単に振り返ってみます。
会社員時代だった1月から3月は独立に向けて様々な準備をしておりました。富士で開催されていたイベントには極力顔を出して、出来るだけ地元との接点をもつようにしていました。また、高校時代の同級生が顧問税理士になってくれて、そこから金融機関の方々にめぐりあい、司法書士さんにめぐりあい・・・そんな感じで独立へ向けて一歩一歩踏み出していきました。一方で、東京を離れる準備も同時に進めました。妻は慣れない交渉を引っ越し業者とやってくれて、うまくまとめてくれました。おかげさまで引っ越し当日に向けての準備はスムーズに進みました。退職に向けて、独立後の事業展開に向けて、有休を消化しながら準備を進めていく日々でした。

4月から6月はまさに創業の時期。富士商工会議所や同商工会議所青年部、岳南法法人会などの地元の団体への加入をはじめ、地元で活動している人材育成コンサルタントの先輩との再会など、富士地区の経営者としての一歩を歩きだしていきました。小規模事業者持続化補助金の活用を検討するなど、未来に向けた投資の決断などを通して、自身が経営者であることの自覚を持ち始めました。
また、人生初の出版も実現。3月、4月、6月と、まんがびと社さんから電子書籍・オンデマンド出版を果たすことができました。自身の専門性の軸が、少し垣間見えた時間になりました。来年も出版へは挑戦し続けます。

一方で、東京とのつながりも維持できました。藤咲塾を始めとした学びの場に参加、人間として大切なことを多くの仲間から教わりました。さらには、ワークショップデザイナーの方たちからのご縁をいただいて、新しい仕事をさせていただく機会を得ましたし、新たなセミナーにも出ることができました。しかし、まだまだ自信を持てずにいる日々でした。そんな中で6月にはコミュニティラジオであるラジオエフさんの「カラーオブサクセス」に出演し、その後の月1レギュラーのきっかけをつかむことになりました。

7月から9月。今年も猛暑きつかったです。この事務所兼自宅も気温が上がって、暑い中で日々を過ごしました。7月はかつて所属したコンサルティング会社からの仕事が多くありました。夏バテしそうになりながらも、一つ一つしっかりと対応し、講師としての自分の形が見え始めた時期でもありました。また、市民活動では、「まちの会議のやり方を学ぶ実践ゼミ」では、ファシリテーターの大学生、小泉さんとともに中軸になり講師として登壇させていただきました。他にも地元の方々とのつながりを強くするきっかけをつかみにいった時期でした。

そして、秋は大きなイベントがいくつかありました。その一方で、大きな台風で防災への意識を高める必要性を実感しました。10月上旬の台風では全く外に出られないくらいの風雨。そして、同じく10月には「サードプレイス・ラボ」の安斎輝夫さんと徳本昌大さんを呼び、富士の方々とつなげるきっかけをつくれました。さらに下旬には「しんきんマッチングフェア」に出て、新たな出会いのきっかけをつくることができました。11月には鳥取出張で長期に静岡を空けることもありました。また、自社主催セミナーも開催し、徐々に新しい挑戦もし始めました。ビジネスの流れが草創期から一歩進んだ時期でした。
12月には中小企業家同友会への入会が承認、そして、専門家登録への道も切り拓けました。動画撮影、やいづTVへの出演など、新たに取り組むことへも貪欲にやらせてもらっています。


合同会社富士みらいクリエイションを設立して8か月半。年明けには決算が控え、新しい年に向かってさらに進んでいく1年になりそうです。
プライベートの方では、特に何か大きな動きがあったわけではありませんが、そもそも富士に戻ってきたこと、そして、妻は40年の人生で初めて東京を離れたことがもっとも大きかったことです。生活のリズムは一変し、最初はうまくけじめをつけられなくて、体が疲れやすくなったこともありました。しかし、徐々にそれは時間が解決してくれました。粘り強く自分たちの取り組みを発信すること、考えていることを伝え、きつかった時期を乗り切ることができました。メンタル面でかなりきつかった時期もあったけど、休んでぱっと切り替えてさらに先に行く。これによって1日1日を越えられました。
そして、独立してからは、51回の登壇を研修やセミナーで果たすことができました。なかにはZOOMでのセミナー、見知らぬ相手との電話でのカウンセリング、島根県や三重県での研修等、初めて経験したことも多くありました。また、引っ越しして事務所を立ち上げてから、多くの方々がご来訪くださいました。時間を忘れて会話を楽しんでくださる方々もいて、私も楽しい時間を過ごさせてもらったと思います。
市民活動団体、ラジオ局、金融機関、教育機関、医療介護関連事業者さん、学生さんなど、これまではあまり接点のなかった方々と接点を持てて、さらに自分の知見が拡がりました。また、同じ経営者という立ち位置での仲間の方々とは、時には熱く語り、時には地域のことや政策に関することをいろいろと教えをいただきました。緊張のあまり大きな失敗もしてしまったことがありましたが、その時も声をかけあって支えていただける。そんなつながりにも恵まれました。

令和最初の年は、私にとっては、富士みらいクリエイションの生まれた年。令和とともにスタートした会社の真価が、私の真価が来年は問われます。年明けから様々な役割を担って活動していくことになりそうです。一つ一つに感謝しながら、丁寧に取り組んでいきたいと思います。
いずれにしても、この一年は感謝感謝感謝の一年。皆さんの力がなければ、ここまで続かなかったのかもしれません。ありがとうございました。
幸せと喜びに包まれる社会になるように祈りながら、来年を迎えたいと思います。感謝。
皆様にとって、2020年が幸せと喜びに満ちた年になりますこと、祈念いたします。
合同会社富士みらいクリエイション代表 増田和芳

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