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幸せを感じる生活を送っていると、人の過ちに対しての怒りが出なくなる

富士に戻ってきてから1か月が経過し、楽しい時間を概ね送れています。心が穏やかになり、そしてみらいに向かっての希望に満ちている。どんなものでも受け容れられるだけの心のゆとりもできてきた。いい流れになっていて、何かうまくいくのだという決意に満ちてます。あらゆる物事を100%受け容れられて変化できているかというと、そこまでではないのですが、徐々に気持ちの変化を実感するようになってきました。

ただ、間違いなく様々な姿勢に変化が出てきています。昨日のブログで「決意」の話をしましたが、自らを信じることや、自ら責任をもって決めることを習慣にしようと思って、少しずつそう変化してきました。そして、今日は、いつもならば怒ってしまうシーンで、怒りがまったく起こりませんでした。すごいです。

今夜、あるお店でラーメンを注文したのですが、実際に店員さんにつたえた料理と全く別の料理が出てきました。注文をとりにきたバイトの子は、そういえば、なにか戸惑ったような対応をしていて自信がなさげでした。日本の言葉がまだわからない様子でした。

注文したものと違うものがきた瞬間、いつもならば怒りがふつふつ沸いてくるのですが、今日は不思議とその気持ちになりませんでした。しかも、私自身のものではなく、妻のもので間違ったものが届くと怒りが生じやすいのですが、それがまったくなかったのです。むしろ、違うものがきても、いただけることがありがたい。豪華な食事をいただけるのがうれしい。そんな気持ちでした。そう思うと、怒りは全くなくなりました。妻は、間違って届いたものが予想をはるかに超えて美味しいものであったようで大喜びしてました。私と同じように怒りを感じることはなかったようで、「仕方ないな」と笑っていて、お酒を飲んだ後ではありましたが、美味しい味噌ラーメンを二人ともいただけたことに感謝しました。

そういえば、昨日、藤咲塾で、私の師の藤咲先生がおっしゃっていたことを思い出しました。藤咲先生がご自分の奥様とのお話をする際に、夕ご飯が用意されているかいないかという話をされるのですが、藤咲先生がお話されていたことと同じような気持ちになったのです。いただけるだけありがたい、注文をして出てくることがありがたいと。あるかないか、合っているか間違っているかで文句を言うのではなく、いただいたものを素直にいただいて感謝しようという気持ちになれたのです。これってきっと幸せの波にのっかってきていますよね?妻も出された味噌ラーメンを食べれてよかった、嬉しかったと言っていました。

幸せを引き寄せているからこそ感じる心の変化なのでしょうか。今まではたいていは「ちょっと!間違っているんですけど!新しいものをもってきて!」って店員を呼びつけて、穏やかに怒りをぶつけていました。真面目な顔で言っているんですけど、たいていは怒っていると見られます。そして、新しいものを持ってこさせて満足しておりました。

しかし、今日はまったく怒りは出てこなくて、むしろ、他にオーダー取違いが起こっていなければいいが、と心配になりました。

もし私が、目の前のことに怒りをぶつけていたら、心はきっと乱れたままで時間を過ごすことになっていたでしょう。たとえ注文と間違っていたものが出されたとしても、「今日はこれを食べる運命だった」と受け容れて、おいしく感謝しながらいただく。感謝の気持ちをもっていただければいいのですから。

今日は、ラーメン屋さんに行く前に、富士市内の富士本町にておいしい日本酒のお店にいきました。妻が飲む役ですが、一緒にたのんだおつまみは最高でした。馬刺し、まったくクセがないのです。霜降りとロース。こうしたものをおいしくいただけることに感謝です。この感謝の気持ちが日本酒のお店の後にいったラーメン屋さんまで持続できたこと、自分で自分を褒めてあげたいと思います。

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