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ZEN(禅)で心を整えられた

今日は仕事のことで、いろいろと気持ちが乱されることがありました。詳しくは書きませんが、いろいろなことを話す方がいるというのが印象です。感情的になっていては何も前に進まないので、自分のコンディションを守るようにするだけです。気持ちが乱されますね。まあ、今後もこういうことは想定されるので、自分でうまくコントロールすることを心掛けないとですね。どなたかに教わった「そうきたかー(3秒)×2回」で。

そして、心を整える方法を今日は新たに仕入れてきました。以前からマインドフルネスについては、本を読む等して理解を深めてきましたが、今日は「禅」にチャレンジしてきました。「ZEN~心を整える~第25回COREDO室町坐禅会」に参加してきました。

禅。ただ座り、集中し没頭する。心を無にする。かつて、お釈迦様が最初にされたというのが、坐禅です。今の自分がただ在る感覚を味わうとでもいうのでしょうか。呼吸すらもあんまり意識しなくなるというものですね。最初の坐禅を始めた時の方が実は苦しくて、徐々に気持ちや呼吸が落ち着いてくると、楽になる。これが坐禅です。私は実は、足を痛めてしまうリスクがあったので、今日は椅子に腰かけさせてもらったのですが、それでも、静かに自分の丹田に意識を集中させて呼吸をすると徐々に落ち着いてきます。このブログの冒頭の段落で書いたことを完全に忘れ、心が落ち着いてきました。まさしく、何も考える行為をしなくなったんですね。

身体の締め付けを出来るだけなくすようにして、呼吸を整えていき、そして、心を整えていくのです。鼻で呼吸をするようになると、徐々に自分の気持ちも落ち着いてくるというものです。坐禅によって心が整ってくると、時間の経過を次第に忘れていくものです。10分と18分と2回、坐禅を体験しましたが、まったく余計な雑念が取り払われました。

そして、禅には様々な言葉があります。禅の言葉=禅語と呼ばれているものです。その中で挨拶(あいさつ)という言葉も禅の言葉なんですね。おす、せまる、という言葉が組み合わせっています。問答ややりとりをする際に最初に行うことですね。挨拶をしなさいってよく言いますけど、なぜ挨拶が行われて、なぜ挨拶をしないようになってしまうのか。何となくですが、イメージがついた気がしました。挨拶を相手に求めることはなく、その現状を観察しておけばいいというのが、まさに禅の見方なんでしょうね。

そして、今日の主催者でもあったシマーズの島津社長がおっしゃっていた、随処作主、立処皆真(ずいしょさくしゅ、りっしょかいしん)という禅語。「どんなところでも主人公たれ、外部の環境や他人を恨むことなく、目いっぱい輝け!」という意味なんだそうです。今の自分にはまさによく合った言葉のように思いますね。最近は、独立を宣言してから、自分にとっておつきあいしたい人が多くなってきました。その中で何か「自分らしい=主人公でいられる」という状況が自覚できているのです。その自覚できている状況を大切にしたいですね。

そして、曹洞宗のお寺の住職の前田さんのお話も、いわゆる法話ですが、心に響くものがありました。自分にとってとるべき努力や研鑽精進などを重ねていき、やがて、自然に結果が出る。まあ、もっともっと間にはいろんな言葉が含まれてましたが、自分自身にのぞましい結果をもたらすためには、とにかく自らが何者であるかを知り努力をする。間違った努力ではなく、自分にとって自然に結果が出るようにするための努力をしていくというものです。

禅の言葉。心に染みわたっていきます。やはり「和」という漢字のある名前を持っているからでもあるし、和の文化などを好む、嗜好することも一つの要因かもしれませんね。

和を感じて心を整えられた良い体験でした。明日から短い時間でも坐禅にトライしてみます!

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