昨日の記事は、反響が大きかったようでうれしいです。こちらからご覧くださいね。ここでとりあげた自律神経失調症というのは、正直本人にしかわからないような苦しさがあると思っています。ただ、この苦しさは、向き合うことなく放置しておくと大変なことになります。なにもかもがやる気なくなるし、体のあちこちに症状が出る。そのシグナルにどれだけ察知して、向き合えるかが重要です。
こうした症状が出てきたのは、自分を信じられなくなったことが大きいです。20代のころは、自分のことを信じられないということに目を伏せて、どこかで他の何かのせいにして乗り切ってきました。なにかのせいにして逃げてきたんです。若かったから周りから許されたところがあって、うまくなにかのせいにして乗り越えられたかもしれません。仮に自信がなかったとしても、そのことよりも、仕事が嫌いで仕方なくて逃げ出したかったんだと思います。周囲の先輩から注意されても、なんだか豆腐のようにグニュっとしてごまかしてしまう。心を開けなかったんですよね。
今思えばまったく可愛げがなかったですね。自信がなかったことよりも、仕事が嫌だったから何の気持ちも感じられなかったのです。何の気持ちも感じられなくなったので、惰性で生きるような感じだったのかもしれません。
ただ、そのつけが30代後半になって回ってきました。耳や鼻の異常、気力の減退など、20代のころには経験しなかったことがいっぱい降りかかってきたのです。正直きつかったですね・・・
このきつい経験、今思うとしてよかったなぁと思うのです。20代のころと30代後半の自律神経失調症を患ったころ、この二つには大きな違いがありました。もちろん年代が違うのはそうなのですが、周りに信頼できる人がいたかどうか、です。30代後半の時期は、身近に信頼できる人がいて、自分の考えを吐き出しても受け止めてもらえるという安心感がありました。その気持ちがあったので、会社を休むような状況になっても乗り越えられたのです。自分で危険を察知し、それをはっきりと話したとしても、周りにその危険を受け止めてくれる人たちがいた。このことが、20代のころとの大きな違いです。
自律神経失調症を乗り越えることができたのは、自分自身がそのことを素直に話せたことと、それを受け止めてもらえる人たちの存在があったことです。素直に話をして受け止めてもらえる状況があったのです。安心安全の社会が、私の周囲では存在していたのだと思います。
今も辛い時や厳しい時が全くないわけではありません。ただ、そういう時があってもそれを乗り越えられるのは、乗り越えるために心情や想いを話しても受け止めてもらえるという安心感があるからなのかもしれません。周りの人たちとお互いに話を受け止め合って、まるで一つのチームとして存在する輪のような場所の中に自分が入れているからなんだと思います。
辛い時には周りの力を信頼しましょう。信頼して自分で行動すれば自分の辛さは乗り越えられます。みなさんを見てくれている人が、声をかけてくださいますし、話を聴いて下さいます。周りの人の力に支えられている実感を持てるのではないでしょうか。自律神経失調症になって転職活動をしていたときに、30社以上の会社に書類選考で落ちたけど、2社最終面接まで残り、1社に転職を果たして今のキャリアの基礎をつくれたことは、今となっては財産ですね。

この工場の夜景や岳南電車は、富士市の財産です。またこのあたりがにぎわってくれるといいですね。多くの人たちが乗りにきてくれる。コロナが収まって、またこの景色が輝けるように。
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