今日は午後から市民の1人として学びの場に参加いたしました。

富士中央小学校の近くにある富士北まちづくりセンターでの開催でした。富士山が見えますが、雲の笠を何重にもまとっています。雄大な姿が一部でも見えますと、やっぱり気持ちは昂るものです。
今日参加したのは、富士市の男女共同参画都市宣言10周年記念事業・「女性や若者とともにすすめるこれからのまちづくり ともに~進め!君らしく~」でした。男女共同参画都市宣言をして10年、こうした取り組みは静岡県内では先進的なのです。
私は、男女の平等などの議論は正直これまではあまり好きではありませんでした。たぶん、それは今も変わっていません。なぜならば、特に自分が身をおくビジネスの現場では、能力を発揮できる、あるいはやりたい気持ちがあれば、性別などの区別なくなんでもチャレンジして取り組んでいけばいいのです。男だから、女だからということを前提になにかを議論することが、そもそも不平等を促しているような気がしてならなかったのです。
ただ、生活場面に話を変えていくと、私自身の中にあった無意識的な「性別役割分担意識」があったのに気づきました。様々な世代の方々と話をしていくうちに、生活における男女平等の意識が著しく欠けていたように感じたのです。地域での活動、スポーツ、文化、学校など様々な現場での当たり前になっていたことが、実は性別をもとにした不平等を生んでいるのではないかと気づいたのです。
たとえば・・・防災訓練は男女でやることが違う。部活は男子と女子で異なっているし、スポーツテストも同様。名簿の順番が男子女子で分かれている。女性専用○○だけはある。女性のための研修はあっても、男性のための研修がない。男だから肉体労働、女だから電話に出るなどの職場に見られる現象。などなどです。
こうしたこと以外にも、様々な場面で性別によって分けられていることが当たり前になっていたのではないかと気づかされました。それを何とも思っていないことがあるために、男女平等の議論から逃げていたのではないか。ある意味、強い衝撃を受けました。

いつも「まちの会議のやり方実践ゼミ」を一緒にやっている小泉さんが、この会の全体ファシリテーターを務めました。かつての彼のファシリテーター姿よりも、はるかにレベルアップして、この人数のファシリをこなすことが素晴らしかったです。ワークショップ上の設計や、細かいファシリテーションにおいては、まだまだこれから経験が必要だとは感じますが、一緒に彼の姿を見てきたので、彼の更なるレベルアップを感じたのは事実です。
こうした取り組みを含めて、まちでは、市民同士が対話する場面をもっと大なり小なりつくっていかなければならないのではと感じました。ただやる、のではなく、話として出てきたことを吸い上げる仕組みを機能させる。ここでやっておしまいとなってしまえば、60名ほど参加した市民の声が無駄になります。行政や議会を巻き込んで、どれだけここの場に係るコアのメンバーが自律的に取り組めるかがカギになりますね。
一方で、みらいに向かう富士市の可能性を強く感じました。富士市立高校の学生さんを始め、この問題をよく考えて自分の意見を臆することなく言える方々が多いなって思いました。臆することがないだけでなく、とてもわかりやすく物事を伝えることができる。「すごい!」と思いました。わかものへ様々な学びの機会を提供してこうした場で活用できるコミュニケーションスキルを高めていくと、発信力と傾聴力に優れた市民が増えてくるでしょう。私のできることが見えてきました。
そして、こうした場に出て少しずつ私の存在も認知されるようになってきました。とてもありがたいです。人材育成のプロフェッショナルとして、様々な組織やコミュニティにて活用できるスキルの提供を企業研修の講師として行うことや、ワークショップの企画、市民活動の場のファシリテーションを行い、かかわる人たちが自信をつけられるようにサポートしていきます。

最後は、「男女共同参画都市宣言」を皆さんで唱和して終わりました。4つの宣言項目、どれも大切ですね。今日を一つのきっかけに、仕事や生活におけるボーダレスな社会の創造に向けて考えて行動していきます。
この記事へのコメントはありません。