朝から出かけてきて今は自宅。今日もこれから晴れるのでしょうか。

今から13年前の2006年9月25日。その日は月曜日でしたが、別の友人U君から朝自宅に電話が入りました。「○○が死んだ・・・」。彼と共通の高校の友人が、自ら命を絶ってしまったのです。まだ30歳。あまりにも突然の話で驚きました。そのような気配が今思うとあったといえばあったのですが、いろいろと話を聴いてみたら、職場の人間関係や仕事のことで1人で悩んでいたみたいです。時々会ってもあんまり明るい顔をしていなかったみたいです。
富士にいたU君(うつっている車の持ち主)が言うには、亡くなった彼から電話があって、「いまから会えないか?」と自殺する数日前にあったんだけど都合が悪くてその日は会えなかったそうです。亡くなった直後はU君はすごく後悔していました。あの日、彼が亡くなってお通夜があった日、他の友人と計3人で、まだ当時富士市内にあったファミレスのロイヤルホスト(今のコメダ珈琲のあたり)で、いろいろと話をしたのを覚えています。
お通夜も翌日の葬儀も、多くの人が参列していました。彼が若くして命を絶ってしまった衝撃が大きかったのを覚えています。
しかも、彼の顔をゆっくりと眺めて会えたのは、私の結婚式(2006年5月27日)が最後でした。私が結婚した年に彼は亡くなっているので、今でも何年に亡くなったのかは覚えています。ただ、忙しくなり、富士から縁遠くなって、9月25日が命日であるのを、時々失念してしまうようになりました。自分も苦しい時期も多かったので。ごめん・・・
ただ、地元にてこうして暮らしている友人がいるからこそ、また彼と会える日があったというのはとても嬉しい限りです。縁遠くなってしまっていた友人のお墓にお参りして、久々に彼に手を合わせてきました。ビールが好きだったんだけど、炭酸水で我慢してもらいましたが(朝からビールもっていくのもねぇ~)、炭酸水を備えてきました。お線香をあげて彼にこれからまた見守ってもらうように祈ってきました。たまにはきてくれ、と叱られましたけどね。
当時はまだ「パワハラ」という言葉もなかったし、メンタルヘルスの問題もまだ大きくなっていなかった時期です。もっと早くいろんなリスクマネジメントがなされていたら、彼の命は救われた可能性もあったと思います。買ったばかりの大きなバイクをおいて、彼は旅立ってしまったんですよね。彼の事に想いを馳せるとそんなことを思い出します。
私は富士に戻ってきて起業をしたので、またU君が引き合わせてくれたことに感謝しながら、彼のお墓へと時々また話をしに行ってこようと思います。
ありがとう。まだまだ私はやりたいことややらなければならないことがあるので、そっちにはいかないけど見守ってくれ。
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