上の画像は、昨日、故郷に帰省した際に利用した「ぐるっとふじ」。
富士市のホームページでも紹介されていますね。知らないうちに、富士のバスは、地域に根ざした優しいインフラに生まれ変わったのかなって思いました。地域の今のあり様をまさに示しているような、そんな感じを受けるのがこのバスですね。
助け合いの乗り物
まさに助け合い。それを象徴するかのような公共交通になっているのがバスです。時間が大幅に遅れて、この日は新富士駅にやってきました。富士駅を経由し、吉原という商店街に向かっていくバス。病院や役所、大型スーパーなどを経由していきます。
交通渋滞のせいで遅れたのかなって思ったのですが、今はそんなにひどく渋滞するような道はありません。多少の混雑があるとしても、遅れが10分以上になるとは思えません。何だろうって思っていたら、運転手さんが会社との無線で話している内容にその答えがありました。「お客様が乗降にお時間を要していた」そうなんです。確かにその場面、遭遇しました。
あるバス停にバスが止まりました。そうすると、なかなか乗ってこない方がいらっしゃいました。入口に目を向けると、大きな荷物を抱えて一緒に乳母車を引いて乗ってくるおばあちゃん。まず荷物をバスの中に入れたいけど、そう簡単に持てない。ご本人には杖を持ちつつ、乳母車を引いている。これでは乗降に時間はかかります。
ちょっと奥に座っていた私は、おばあちゃんを助けに行けずもどかしかった。周りの他のお客さんがおばあちゃんを助けてあげて、おばあちゃんは時間がかかったけど、バスに乗れました。こうした助け合いが、バスの中で繰り広げられたわけです。
都会のバスでは、あまり見られないかもしれません。いや、ひょっとすると、怒りだす人がいてもおかしくない。そんな想像をしてしまいました。
地方の今のバスというのは、まさしく助け合いを促進するための乗り物なんだと思います。共に助け合う世の中を象徴するかのようなものですね。
コミュニティ形成のヒント
バスのこのシーンに、今後の地方コミュニティでの生き残りのヒントがあるように感じます。共助の社会、支え合いの社会。この姿が地方のバスで見られました。都会でなく地方が自らの力で持続可能なものにしていくためには、支え合いなんです。それが出来るのは、一人一人の顔がまだ見えやすくて、パーソナルスペースがある地方かなって思います。一人一人の顔が見えるから、お互いを支え合いやすい環境はあるんです。これが、場づくりの基礎になる。新しい場を一からつくるのではなく、点線でゆるくつながっていたつながりが、実線でつながっていくようなつながりに。こうしてコミュニティは形成されていく道筋ができるのではないでしょうか。
富士のコミュニティバスに乗って、さらに地方に戻って持続可能な社会を創り出すために、それを富士市で実現するためにも戻りたい気持ちは強くなりました。高齢化が進み、このまま地方が落日していくことは、決して臨むことではない。地方から東京に出てきたからこそ、出来ることだし、その気持ちにもなれるんだと思います。
助け合い、支え合いの社会を地方でつくる。私がその中に飛び込んで、助け合える、支え合えるだけのマインド、スキル、ナレッジを持った人たちを育てていきたい。組織や集団を育てていけるようなサポートをしたい。ますます強くなりました!まってろ富士!
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