ブログ

父の仕事への想いから更に高まる起業への想い

昨日の昼間の、地元・JR吉原駅からの富士山の方角です。雲に隠れて富士山は見えないです。広がる裾野はかすかに見えますが、雲に隠れて後は見えず。

この吉原駅の周辺は、かつては鈴川と呼ばれました。海に近いところに街道の名残があります。左富士など、富士山が描かれた名所や、平家越【平家の武将たちが水鳥の音に驚き逃げたところ】という源平の戦いの跡の伝説が残る場所もあります。

そして、昭和以降は工場の多い地域としての姿を見せました。製紙会社を中心に、自動車関連、物流関連などの工場や事業所が多くあります。ただ、製紙関連は大企業の経営破綻や工場撤退により、一時は街の雰囲気も悪化の一途をたどりました。

こうした産業停滞のあおりを受ける中で、私は富士で生まれ育ちました。富士の自動車関連メーカーに勤務していた父は、工場で自分の技術を磨き、仕事にかなりの熱を注ぎ込んできたそうです。典型的な団塊の世代の父は、45年以上同じ会社で勤務をし続けました。正社員として、その後は派遣などでも仕事をし続けてきました。父の仕事への情熱は、富士で同居していた頃には全く知る由もなかったのですが、最近では、父と話す機会があり、彼の仕事のやり方や想いをいろいろ聴けました。職人としての父の考えや教え方は、いかにも不器用な父で言葉も丁寧とは言い難いのですが、相手へ情熱を持って接してきたことは確かなんだと思います。十数年前に、父が入院した時も、ひっきりなしに父の同僚や後輩がお見舞いに来たのも鮮明に覚えています。悩みを打ち明ける後輩に言葉は丁寧でなくても、背中を押そうと思って言葉をかける。それによって腫れ物がなくなったようにして、帰っていく。そんな後輩の方たちを多数見ました。今思えば、父の仕事への想いが反映されたことを物語っていたのかなと思います。

人には無限の可能性があり、その可能性を活かすことで、成長していく。ただ、そういうことがうまくいっていない組織や地域はある。また、仮に表面的には問題はなくても、どこかに人の成長を阻害するような出来事があったために、可能性の芽が摘み取られてしまう。そんなことがあるのを知ると、やはり何とかできないかという想いになるんです。

そう、自分が感じてきた人材育成に対しての問題意識、これを解決していきたいのです!

根本は、自分の力でやれることをやりたい!

昨晩父と話していてもそう。例え私の過去の成功失敗がなんであろうと、不安はあっても、やりたいからやりたい。起業への想いはそこから変わらないんです。

人を育てるやり方を組織に広げる。つまらないやり方ではなく、面白くて楽しくて、やってみたいやり方を伝えられたらベストですよね。

また、うまくいかなかったやり方は真似してほしくないし、うまくいかなくなるような状況は最初から防げるものは防ぎたいものです。

こうしたことを、何かにとらわれる制限されることなく、人や組織の可能性を拡げて、未来への挑戦権を、たくさんの方々に得て欲しい。そうやって競い合いながら、社会は成長していく。

大好きな富士山のふもとの景色をいつまでも好きでいたい。街がいつまでも元気でいられたら。そのために人材育成を中心とした事業を展開していきたいのです。

父と昨晩話したことで、自分の起業への想いが高まり、改めてどうしたいか、なぜしたいかを再確認出来た気がします。

楽なことばかりでないのは百も承知だけど、心にゆとりを持って楽しくやれるだけの気持ちや自信はあります。だからこそ起業への想いは鮮明になりますね。

今日、東京に戻るのですが、想いを鮮明にして、やりたいことをさらに詰めるためのプロセスに進みます。

コメント

  1. この記事へのコメントはありません。

  1. この記事へのトラックバックはありません。

PAGE TOP

富士みらいクリエイションをもっと見る

今すぐ購読し、続きを読んで、すべてのアーカイブにアクセスしましょう。

続きを読む